スパゲティからパスタになった頃、調理の楽しさに目覚めたオトコ。
こんにちは。
南信州の飲食人代表の下澤です。
私達が高校生の頃、喫茶店文化が主流でした。
屯う場所は喫茶店。
そしてそこでスパゲティといえば、「ナポリタン」もしくは「ミートソース」
飯田市は名古屋の影響も受けやすいところだったので、スパゲティのスタイルは鉄板に卵が敷いてあり、そこにスパゲティが盛りつけられるスタイル。
だから、「そういうもの」だって思っていたんですよね。
その当たり前にカルチャーショックを受けた、ある男がいました。
飯田市内でハンバーガーカフェを経営している、古瀬輝明さん。
彼は私の高校の同級生なんです。
そして調理の世界に魅了されて、この道25年。
2014年12月に念願の自分の店をオープンさせました。
Burger cafe PAL'S (ハンバーガーカフェ ーパルズー)
長野県 飯田市 本町1丁目10番地1
TEL 080-2394-3984
営業時間 11:30〜20:30(ラストオーダー)
火曜日定休
なぜ、調理の道を選んだのか?
私達が通っていた高校は商業高校だったんです。
なのに彼はなぜ、調理の道を選んだのか?
私にとってそれがすごく疑問だったんです。
なので、そのきっかけになった事柄を聞いてみました。
もともとウチは両親が共働きだったから、おやつを作ったりとか、自分が食べたいものは自分で作る癖がついてたんだよね。だから、料理することは自然に覚えたってかんじかな。
今思えば高校生の時、同級生の紹介でお兄さんがやってた喫茶店でバイトを始めたのが「きっかけ」だったと思う。
喫茶店でバイトするようになってから、調理するのが楽しくなったんだよね。高校卒業後、就職に選んだのはイタリアンレストラン。レストランで接客を学ぼうかなって思ったんだ。
その頃は第一次イタ飯ブームだったせいもあって、イタリアンが注目されていたのも選んだ理由。
就職して一番驚いたのがナポリタンやミートソースって、日本独自のものだって知ったこと。
そして、スパゲッティじゃなくてパスタっていうんだ。
これを知った時、ある意味カルチャーショックだったんだよ。イタリアンはパスタとピザだけじゃなく、肉料理や魚料理もあるっていうことも知って、スゲーなって思ったんだ。
この話を聞いて・・・あの頃の自分たちは井の中の蛙だったねよね。
自分ができることは世の中に通用するものだと、と思っているとこがあったかもしれない。
そんなことを思い出しました。
レストラン勤務は僅か1年半で終わっちゃったんだ。
当時の料理長は、海鋒勇(かいほこいさむ)さんといって、イタリアンでは有名な方だったんだけど、亡くなってしまってね。そして不況の煽りと重なってレストランが閉店してしまったから、それを機会に飯田に帰ってきて、以前バイトしていた「キャベツ」に就職したんだ。
こうやって思い起こすと、21年も「キャベツ」にいたんだね。
手軽に安全で美味しいものを食べてもらいたい
料理業界一筋25年。
そんな彼が選んだお店のスタイルはハンバーガーカフェ。
手軽に食べられて、栄養バランスがちゃんとしているものを食べてほしい。
そんな思いが込められています。
もちろんテイクアウトもOK
この日は帰飯されてた方が、家族用にとテイクアウトに来店していました。
最近では高校生の利用も多いとか。
私達がいま思い出す「あの頃の店」のように、学生時代の思い出の一コマに入るような存在になって欲しいな。
思い出話に花を咲かせながらそんなことを思いました。
Burger cafe PAL'S (ハンバーガーカフェ ーパルズー)
長野県 飯田市 本町1丁目10番地1
TEL 080-2394-3984
営業時間 11:30〜20:30(ラストオーダー)